パンとお皿

多分パンにも皿にも特に言及しません

20190115

朝。白米のうえに、豆腐、天かす、かつお節を乗せたもの。

昼。蒸し鶏のキムチ炒め、タラコ入り玉子焼き、縮みほうれん草のお浸し。 

夜。鮭のちゃんちゃん焼き。

 

仕事帰りの車の中で、音だけで稀勢の里の取組の様子を聞く。

稀勢の里が土俵にあがった時には、観客たちの祈るような歓声が沸き上がり、いざ取組が始まると、その歓声が悲鳴へと変わり、稀勢の里の敗戦の後には、諦めと困惑が入り混じったざわめきへと切り替わっていく、その移り変わりがとにかく劇的に物悲しくて、国技館のど真ん中でこの悲しいエモーションに満ちた歓声を浴びながら、負け残って土俵下に佇みながら結びの一番を見届けなければならない横綱の心境を思うと、胸が張り裂けそうだった。

ほんの数年前までは、序盤と終盤でもったいない勝ち星の取りこぼし方をしでかしたり、ピリッとしない取り口で大一番をものにできなかったり、いつまでも大成しそうにない稀勢の里の姿を、呆れながらも愛していた。ずっとこちらの期待感ばかり煽っていながら、結局まともに期待に応えてくれない稀勢の里をブーブー言いながら応援する事が楽しかった。

「いつか稀勢の里横綱になると良いな」と期待していた頃は、こんな風に、「もう十分だから」と、残酷ショーを目の当たりにしながら安楽死を望むような気持ちに苛まれる未来は想像していなかった。