パンとお皿

多分パンにも皿にも特に言及しません

20190307

朝。納豆と弁当の残り。

昼。蒸し鶏とキャベツと人参の炒めもの。

夜。鶏ももと蓮根の煮物。

 

住宅ローン用に契約した金融機関の口座が用意されたので、パスワードを設定したり、スマートフォン用のアプリケーションをインストールしたり、キャッシュカードの手配をしたりといった細かい手続きを行う。積立貯金の金利を確認したら、安く預けても高く預けても、短く預けても高く預けても、超低空飛行のまま変わらない金利マトリックス状に並んでいて逆に圧巻。

 

Susumu Yokotaアンビエントものなどを聴きつつ、古井由吉の『雨の裾』収録の短編を二つ、時間をかけて読む。その後、寝る直前に布団の中で川上弘美の『センセイの鞄』の花見のエピソードを読み返す。

20190306

朝。弁当の余り。 

昼。キャベツと豚肉を蒸したもの、おくら、味つきゆで玉子。 

夜。塩焼きそば、もやしのナムル。

 

過去に一度観て、途中で飽きて放り出してしまった『ユージュアル・サスペクツ』をもう一度観てみる。やはり今回も途中で飽きたが、一応最後までは観る。何というか、「すみません、入るべき店を間違えました」という気持ちになった。映画に求めているのは、このテイストでは無い。

 

寝る前に坂口安吾の「白痴」を読み直す。若い頃は何となく漫然と読んでしまっていたけれど、いま読むと、小説の体裁でありながら、坂口安吾自身の小説として結晶するに至っていない焦燥と困惑が物語や語り口に野蛮に介入している生々しさに慄く。

20190305

朝。弁当の余り、味噌汁。

昼。キャベツとニラのレンジ蒸し、玉子焼き、鶏もも肉を焼き鳥風に仕上げたもの。

夜。キャベツと豚肉を蒸したもの、白菜サラダ。

 

夏目漱石の『三四郎』を、過去に二度読んでいるものの、二度とも読んでいて今ひとつ要領を得なかったので改めて読み直す機会を伺っていた矢先に、3月の「100分で名著」は『三四郎』を取り上げると小耳に挟んだ。

 

その時点では、一ヶ月かけて全4回の放送を通じて『三四郎』を取り上げるのだろうと早合点して、それだけ時間をかけて一冊の本をゆっくり読むのも悪くないと思い初回の放送前から少しずつ『三四郎』を読み直し始めていたのだが、実は、今月の「100分」は全4回の放送で漱石を一冊ずつ、計四冊を取り上げるという変則的なスタイルだったものだから、『三四郎』を取り上げる回は初回放送時のわずか一週で終わってしまった。

 

一度は「放送にあわせて『三四郎』を読み返そう」と決めた手前、仕方ないので急ピッチで読み進めて、放送翌日の火曜日に読了。さすがに三度目ともなると、何がしたい小説なのか、どこに焦点をあわせれば良いのか、あるいは焦点を絞らずに俯瞰するべき箇所はどこなのかが、割と明確に分かってきて、今までで一番楽しく読めた。

 

そして、「100分」は来週から『夢十夜』、『道草』、『明暗』と続く。乗りかかった船だから全部並走を試みようとは思う。

20190303

朝。玉子焼きともオムレツともつかないものと味噌汁。 

昼。鎌倉パスタのペペロンチーノ。

夜。エビとイカと豚のお好み焼き。

 

日野バイパス角上魚類への入店待ちの車で渋滞が発生していた。恐らくひな祭りのためのちらし寿司や刺身を買い求める客で賑わっていたのだと思う。

その光景を見て、夕飯時に日本酒でちらし寿司を少しずつつまむのも楽しいのではないかという気持ちが頭をよぎったが、冷蔵庫の中にそろそろ賞味期限を迎える豚ロースが残っていて、子供が朝も昼も野菜をほとんど食べていなかったので、夜は鬼のような量のキャベツが入ったお好み焼きという事になった。

 

高校を卒業してもう随分な年月が経つのに、いまだにずっと「体育の授業があるのに体操服を忘れて家を出てしまった」、「時間割を確認できずに、今日必要な教科書を持参せずに登校している」、「センター試験まであと一週間なのに何の勉強もしていない」という苦しい夢を定期的に観続けている。普通に生活している日々の中で、たまにこんな夢を見る程度なら別に良いのだが、もう少し年老いて、例えば難病を患って、仮に生きるか死ぬかの瀬戸際でうなされている時に麻酔を打たれて昏倒して、「体操服が無い!」とか、「どの教科書を持って行けば良いのか分からない!」と苦しみながら譫妄のうちに死んで行くなど、そんな展開は極力回避したい。

20190302

朝。タラコ、玉子焼き、雑な味噌汁。

昼。塩パン、カレーパン。

夜。ササミの揚げ焼き、しっかりした味噌汁、ルッコラのサラダ。

 

子供と二人で『ドラえもん のび太の月面探査記』を観に行く。

のび太に「僕たちは信じる力で繋がっているんだ!」みたいなつまらない台詞を叫ばせるCMが好きじゃないのでどうなる事かと不安だったのだが、この台詞が本編には全く出てこないという嬉しい誤算。

話の運び方や登場人物の役割分担が周到で、最後までストレスフリーで面白く観ていられる良作だった。既存の少しマイナーな道具をここぞという所で使ってみせて観客を喜ばせたり、序盤から丁寧に散りばめた伏線を後半でどんどん回収するといった、ドラ映画の醍醐味とも言える楽しい要素はしっかり押さえてくれていたし、メインの少年少女4人の描き方が、後半に至るにつれてどこか『ストレンジャー・シングス』めいた雰囲気が漂ってくる所も楽しかった。悪役の声をフルスロットルで演じる吉田鋼太郎が、さすがの上手さと迫力で緊張感を高めてくれていた事や、映画では前作から参加している服部隆之のスコアが作品に風格を添えていた点も好印象。

 

ところで、これは多くのドラ映画において多かれ少なかれ共通する話ではあるのだけれど、本作においては殊更、ドラえもんの行為が随所で、絶対的な力の行使によって他の生命の在り方まで左右する、神にも似た強さを伴っているように感じた。特に最後の展開はもはや「神の代行」という域。

 

そして自律して考える機械であるドラえもんが無邪気さや善意から取った行動が結果的に善良なる神の代行者としての振る舞いに至っている事と、本作に登場する別のある機械が紆余曲折を経て邪神の代行者の如く振る舞うに至っている事との間には、コインの裏表のように緊張感に満ちた関係が結ばれている……と感じるのは考えすぎだろうか。まあ良いか。作品が生み出された後に、それをいかに自由に捉えるかは、鑑賞者の側に許された権利だ。

20190301

朝。タラコ、崩れた茹で玉子、味噌汁。

昼。ササミとブロッコリーのケチャップ炒め、さつま芋の煮物、味付き玉子。

夜。あごだし鍋(大量にラーメン)。

 

吉永小百合の姿って、CMと、日本アカデミー賞で流れる興味のない映画の断片でしか観たことないな、と思いながら日本アカデミー賞をぼんやり眺めている。

20190228

朝。納豆ごはん、ウィンナーと大根のスープ。

昼。豚とネギとシメジの中華風炒め、ニラの胡麻和え、ブロッコリー

夜。肉じゃが、冷や奴。

 

『HOCHONO HOUSE』の予習のために、『HOSONO HOUSE』を聴きながら出退勤。1970年代にまだ20代の若者がこれを作って、なおかつ、その後にトロピカル三部作からYMOに至り、フィルハーモニックや銀河鉄道の夜などに繋がっていくという事が、後追いで聴いてもなお信じられない。

 

明日の弁当用に玉子を茹でていたら派手に失敗した。殻を割る最初の一撃で、玉子の大半が首の皮一枚で繋がっているような状態で割れてしまった。完全に黄身が露出してしまっているが、他の成功した茹で玉子と一緒に、一か八かで希釈した麺つゆに一晩漬けてみる。

 

小山田浩子の『穴』を読む。この人の作品を読むのは初めてだったけれど、とても好みの作風だった。日常生活のリアリティを不穏な手付きで揺さぶって震わせて、そこから生じる違和感の隙間から奇想を繰り広げていくマジックリアリズム。本質的にとても物騒な小説だと思った。すごく良い。