パンとお皿

多分パンにも皿にも特に言及しません

20190126

朝。トースト、昨夜の残り物。

昼。一福のカレーうどん

夜。ステーキ、キャベツとオレガノコールスロー

 

朝食の後片付けからの勢いそのままに、鍋の底の汚れ落とし、換気扇やガスレンジ周りの掃除などを行う。さらにその勢いでベランダの掃除、トイレ掃除、洗面所の水周りの掃除など。

 

立川シネマシティで『ヴィクトリア女王 最期の秘密』を観る。上品で、軽やかにコミカル。晩年のヴィクトリア女王と、インド人従僕の青年アブドゥルという、身分も文化も世代も何もかもが違う二人の結び付きを中心に展開される物語。

我々の社会生活において生じる出来事は、その出来事に巻き込まれた人々の立場や考え方によって、異なる意味を持つ。同じ出来事であっても、ある人達にとっては美しい日々として捉えられていたものが、別の人達にとっては悪夢の日々であったりする。

そのギャップから生じる緊張関係やそこからのビターな顛末が、コメディの味付けは施されているとは言え、割とシビアな領域に足を踏み込みながら描かれていて、そのほろ苦さが作品の奥行きを深めていた。

「上映時間のタイミングが良い」という理由だけで前知識無しで観たので、特別好みなテイストというわけでは無かったものの楽しめました。

 

そして、同じ劇場、同じスクリーンでそのまま『サスペリア』。怪作。

君の名前で僕を呼んで』が去年観た映画の中では一番だと言って良いぐらい好きだったので、その監督の新作という事で観に行ったのだけれど、そもそもホラーが苦手なので、いくつかのシーンは本当に厳しかった。序盤に訪れる、絶対に目が離せない美しい情景と、絶対に目を背けたい痛々しい情景とが、シンクロしながら展開されるくだりなんて、美しさに耽溺する快楽と、痛々しさに追いつめられる苦痛とが凄まじい勢いで同時に襲いかかってくるものだから、メンタルが激しく疲弊した。

不条理と残酷を尽くしつつも、根本の部分では美しさと気高さを決して手放さずに展開される惨劇に身を委ねざるを得ない、150分間の、鮮烈で忌まわしくて、それでいて抗いがたい甘美さに満ちた悪夢譚。

各登場人物のバックボーンや、それぞれの関係性などはほとんどまともに説明しないままに、論理も倫理もタガが外れた物語を展開しているにも関わらず、クライマックスに至る頃には、各登場人物間に形成される、ろくに言葉を伴わない愛憎の機微が重要な鍵を握るエモーショナルな場面が次々と展開されていて、この辺りは、さすが『君の名前で僕を呼んで』の繊細な語りを成立させた監督だな、と感心したりもした。感心している間にも、スクリーンではエクストリームな地獄絵図が繰り広げられていたりもしたのだけれど。

 

映画を観た後、肉のハナマサでステーキ肉を買って帰宅。適当にこしらえたコールスローを付け合せに、テレビでテニスの大きな大会を観つつ、おおいに肉を食べた。千円弱で強烈な満足感。